「情動」と「空間」がキーワードになっていた論文に目を通しました。
及川裕子(2014):地域アートプロジェクトの空間性とアーティストの情動 : 「墨東まち見世」を事例に
ハーヴェイやマッシーの空間論や、空間を動態的なものとみなした上で、人間の感情や帰属意識までも考察対象としいる近年の文化地理学研究をもとにしながら、アート空間の生成過程を分析することを目的とした論文です。
地域アートプロジェクトに参加したアーティストの語りをもとに、アート実践が具体的空間と結びつく様相を明らかにし、場所生成の可能性について検討することを著者は目指しています。
しかし、一読した段階では、竜頭蛇尾に終わってしまっている印象を個人的には持ちました。紙幅の少なさはわかりますが、それでも空間の生成とアーティストの情動に関する論考が物足りないように思えました。たぶん、背景となっている空間論に関する僕自身の理解が不足している影響も大きいのだと思います。
曖昧さが残る論考という印象が強かった論文でしたが、「地理学領域における空間論の展開」という節からは、人文主義地理学以降の「場所」に関する議論の動向を知ることができたことが僕にとっては収穫でした。
場所とは、人間の具体的な関わりを通して周囲の空間や環境から分節された、個人や特定の人間集団にとって特別な意味を帯びた部分空間である(高野2014)。
1970年代まではそこに「本物の場所」なるものが想定され、場所に根ざすことが人間存在の安定化の前提と捉えられた(レルフ1991)。
しかし1990年代になると、このような場所論は本質主義であるとして批判され、場所は社会的構築物とみなす議論が主流となった。
こうした動向をまとめた後に、著者は次のようなハーヴェイとマッシーの主張をその例として引用しています。
ハーヴェイは、都市間競争によって差異化する都市では、そのアイデンティティの基盤として領域的な場所概念が重要になる一方で、それを資本の諸関係と無関係に想定することは本質主義への回帰であり、ノスタルジーの自明性にとらわれてしまうと批判した(Harvey 1993)。
一貫したアイデンティティ、あるいは誰もが共有する単一の場所感覚など存在せず、空間経験の在り方は、エスニシティ、ジェンダーなどによって多種多様であると述べた。空間はすでに構成されたアイデンティティの貯蔵庫でも、完結した閉域でもなく、必然的に組み込まれた物質的実践としての関係性の産物だという。すなわち、場所とは、外部とのつながりの中で絶えず生産され続ける社会的相互作用のプロセスであり、開かれたものとして検討されなければならない(Massey 1993,2005)。
その後、著者は近年の文化地理学における研究を語る中で、森正人の主張を紹介しています。
場所、空間、景観への帰属意識や感情といった流動的・液状的なものが凝固した(かのように見える)契機と装置と空間的配置を問題すべきだと主張し、地理的事象を相互浸透的な空間として関係的に捉え、他者や他所との交渉につねに開かれながら作り直される「空間性」として理解することを説いている(森 2009)。
この中で、気になった言葉がありました。それは、「空間性」です。「空間」を単なる静態的なものではなく、動態的なものとみなすという意味から「空間」ではなく「空間性」という表現にしたと考えていいのか、それとも別の意図があるのかどうかが疑問として残りました。
実は、マッシーの『空間のために』もきちんと読破できていないのですが、ハーヴェイの1993年の論文も読んでみたくなりました。
論文の参考文献では原文のものが紹介されていますが、『空間・社会・地理思想』に翻訳が掲載されていました。