小西正雄氏と言えば、「提案する社会科」を思い出す方も多いかもしれません。このごろ、世界認識について考えを整理できたらいいかなという思いが強くなっているので、人間ドックでの時間を利用して小西氏の論考を読み返してみました。
タイトルは「世界認識のための社会科地理教育ー国際化時代にむけての方法論的再検討ー」。全国社会科教育学会第36回研究大会の課題研究で小西氏が発表された「地理学習における世界認識パラダイムの転換」と題する報告がベースになっているものです。つまり、20年以上も前の論考なのですが、私にとっては読み返す価値が十分でした。
また、小西氏の論考と同時期に発表された論考も併読しました。内藤正典氏の「現代地理学の再検討ー第三世界研究の視点からー」という論考です。
まず、小西氏の論考についてです。
中学校地理的分野学習で語られる「国際化」が、「未だに他国・他地域理解、国際交流の現状の理解とその推進の強化のための教育の枠組みにとどまっている」と小西氏は指摘しています。近年、地球市民育成のための地理教育のあり方に関する論考も多く出されていますが、いわゆる「地球化」とでも称さねばならない要素が多分に含まれる「国際化」状況に対応するには、それまでの地理教育を充実するだけでは対応しきれないのだと小西氏は述べています。
次に、「『中学校地理的分野が子どもたちの世界認識の育成に大きく関与する部門であることは論をまたない』というのは正しい表現ではなく、『中学校地理的分野が子どもたちの世界認識の育成に大きく関与する部門であると思われていることは論をまたない』とするべきである」と小西氏は主張します。そして、このような誤解が生じているのは、「各国・各地域の様子や特色、それに日本と諸地域の結びつきを学習すれば世界認識ができるであろうという、すこぶる楽天的な思い込み」があるからだと理由づけています。
小西氏は、部分はあくまでも部分であって、部分の集合が全体にはなるとは限らないということを問題にし、地理教育の内容構成を検討していきます。その結果、重視すべきこととして注目するのは「部分空間相互の位置的連続性」です。小西氏は、これを「路誌」と名付け、「頭の中の国境を、あるいは地域区分を一度は消し去る努力をしてみるべきではあるまいか。そのための手がかりが、先に提示した『路誌』の方法なのである」としています。
この指摘は、内藤氏の論考と共通する部分があるような気がしました。
内藤氏は、当時における現代地理学の動向を批判的に検討する中で、「問題設定の仕方が、研究対象としての地域を求めるのであって逆ではない。したがって、対象地域として、常に国家を基準にしようとする一国主義は、必然性をもたないし、行政地域にこだわる理由も相対的なものでしかない。このように、問題から地域への逆照射が地理学者の知的営為とならないのは、一体なぜだろうか」と述べているからです。
また、小西氏による「相対主義の過度の強調がもたらす世界観(モザイク的世界観)」におけるモザイクとして国家や地域と、内藤氏が指摘する「概念蔵置としての『地域』」は、地理学や地理教育にとって同じ課題を持つ存在なのだと思いました。
小西氏が最後に提示している地理教育における「回避型の内容構成」原理は、部分よりも「全体性の認識」の醸成を意図したものです。これは、地理教育においては、多様なスケールの地域を取り上げて学習することが大切であるという近年の主張と結びつけて考えることができるように思いました。
さて、時間的余裕ができた結果、お二人の論考を読み返すことができました。これからも、「世界認識」「境界」「場所」「メンタルマップ」などをキーワードにしながら、もう少し考えを整理していけたらいいなあと思っています。新しい中学校地理的分野教科書が販売されたら、その内容も確認してみることにしてみます。