駿河台大学文化情報学部 の機関誌「文化情報学」に掲載された内藤嘉昭氏による翻訳「なぜ地理学が重要か」が書籍にまとまって学文社から出版されました。
原著はWhy Geography Matters: Three Challenges Facing America: Climate Change, the Rise of China, and Global Terrorism。著者はHarm J. De Blijはミ シガン州立大学の地理学担当教授であり、ナショ ナル・ジオグラフィック・ソサエティの終身名誉 会員です。内藤氏の翻訳文によると、著者は7年間ABCテレビの「Good Morn- ing America」で編成作業に当たり、同番組にも 登場していたことから、地理学者としては(むしろ珍しく)全米で一般に名前を知られているということです。
Oxford Univ Pr (T)
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内藤 嘉昭(訳)「なぜ地理学が重要か―アメリカが直面する三つの課題: 気候変化,中国の台頭,世界的なテロ活動」からこの著書の一部を以下に引用して紹介したいと思います。
我々が住む世界の営みを説明するのに、空間的分析を用いるのは、もちろん地理学者に限ったことではない。経済学者や人類学者、あるいは、その他の社会科学者も、ときに空間的視座から考えることもある。
もっとも、彼らの叙述からはそれが遅れたものであることを窺わせる場合が多い。著名な経済学者ポール・クルーグマンがニューヨーク・タイムズ紙にコラムを寄稿し、地理学文献では廃れて久しい空間的定理を再発見したとき、地理学者は喜んだものであった(いらいらした人たちもいたが)。
生理学者ジャレド・ダイアモンドの権威ある著作『銃・病原菌・鉄』は、ニューヨーク・タイムズ紙記者ジョン・N.ウイルフォードが、「近年で最高の地理学書」と書いているが、地理学者はその中に顕著な概念的弱点を指摘している。ダイアモンド氏は洞窟壁画に注目しただけでなく、それに対して印象的な行動をした。UCLAの地理学科の教員として、かつて繁栄した社会が崩壊していったその地理学的要因を考察した後、続編を著したのである。
ダイアモンドはこの二つの労作において、微妙な問題を提起しているが、それはかつて地理学研究の中心的な課題であった。すなわち、人類の運命において自然環境の果たす役割ということである。20世紀初頭、この研究は中緯度社会の「活力」と、熱帯民族の気候に対する「無気力」を説明するということで、一般論に発展していった。こうした単純な分析は、欠陥が必ず表面化するというだけでなく、あらゆる信頼を失わせて世界の現状を解釈しようとする民族主義者が悪用しかねない証拠となるおそれがある。しかし、根本的問題はダイアモンドが主張するように、解消したわけではなかった。今日我々は人類の分布や行動はもとより、環境的変化やそれに関する生態系的変化についても、非常に多くのことがらを知っている。そして、そうした問題点が新たな関心を生んでいる。
しかしながら、複雑な環境に対して単純な因果関係を当てはめようという誘惑も、地図がそれを示唆するがために、依然残っている。
別の著名な経済学者ジェフリー・サックスが、米海軍大学で講演した内容の次の引用を考えてみるとよい。「世界中の富裕な国は実質的にすべて、熱帯圏外にあり、実質的にすべての貧困国はその圏内にある――そして気候は、世界中の所得の国家間及び地域間格差の極めて顕著な比率を説明する」。それは合理的結論にみえるかもしれないが、世界中の多くの貧困国の現状は、はるかに複雑な事情に起因している。例えば、その中には長らく不利益を強いた征服や植民地化、搾取、弾圧などがあるものの、気候はサックス氏が言うように顕著な要因ではなかろう。いずれにせよ、世界の貧困国の多くが熱帯にあることは事実とはいえ、アルバニアからトルクメニスタン、モルドバから北朝鮮にいたるまで、そうではない国が他にも多数存在している。地理学的メッセージが、環境を一般化するのに役立つとはいえないのである。
もちろん、我々の主張に地理学者以外の人たちが参加してくれることは、喜ぶべきことである。しかし、そのことで、研究者の学問的定義を一般人に受け入れさせようという我々の努力が容易になるものではない。思うに、場合によっては、こうした困難が地理学の強みとなるのであろう。
地理学は発見に関する方法論を有しており、その「空間的」保護下において我々は過程や制度、行動、それに空間的表現をもつ他の多くの現象を研究したり、分析したりする。地理学者を連携させるのは、この結びつきであり、すなわち、こうしたパターンや分布、拡散、流通、相互作用、並置にかかわる関心であり、自然界と人間界とのおかれている、相互の結びつきと相互作用のそのありように対する関心である。もちろん、熱帯環境によっては、農家に過酷な病気を発生させるような地域があるのも事実である。しかし、それよりも過酷なのは、熱帯の農家の生産物に対する富裕国の関税障壁や、大規模農業ビジネスに支払われる補助金である。こうした慣行を終わらせても、地球規模で貧困が拡散していく上で、その「顕著な」要因に突如として気候が出現するようには思われない。
それゆえ地理学のカバーする領域は広く、地理学者は様々な研究を広範に追及することになる。最近では多くの社会的活動などの分野も含むようになっており、それは地理学というよりも社会学に近いかもしれない。しかし、地理学的研究の多くは空間的であり、現実的なものである。
私の同僚の中には、アマゾンの伐採や西アフリカの砂漠化、アジアの経済統合、インドネシアの移民問題に焦点を当て研究をしている人たちがいる。他方で、プロ・フットボールと選手の出身地や所属チーム、教会の構成員と福音主義の変容パターン、現代の地球温暖化時代におけるワイン産業の台頭、米中西部地方におけるNAFTAが製造業の雇用に及ぼす影響のように、アメリカに固有の現象を個別に調べている人たちもいる。
私は常に、彼らが何を発見しているのか、専門誌においてそれを読むことに関心がある。また、学生に対していつもいってきたように、発見の時代は終わったかもしれないが、地理学的発見の時代に終わりはないのである。
20世紀後半、地理学的な説明における方法論が議論され、百家争鳴と地理学の理論が称された頃、欧米の書店では地理学書のコーナーを見つけることは容易だったということを聞いたことがあります。
しかし、あれから四半世紀以上過ぎた今日、その状況は大きく様変わりしてしまいました。先日、大学の恩師からお聞きした話では、あのイギリスでさえ、地理書は数学書コーナーの一角に置かれているような状況になっているとのことでした。
引用文や「空間的」というタームから本書に関心を持った方はもちろん、「地理学」という学問の存在意義やその有効性に疑問を感じている方にも一読をおすすめします。読み物としてもおもしろい本だと思います。
最後に、個人的に魅力を感じた箇所を再度紹介しておきます。
それゆえ地理学のカバーする領域は広く、地理学者は様々な研究を広範に追及することになる。最近では多くの社会的活動などの分野も含むようになっており、それは地理学というよりも社会学に近いかもしれない。しかし、地理学的研究の多くは空間的であり、現実的なものである。
発見の時代は終わったかもしれないが、地理学的発見の時代に終わりはないのである。